Aria〜今「死」を迎えようとしているあなたへ〜

この地球に肉体をもち そこに魂を宿す

この地球での 自分自身の人生を終え

「死」を迎えようとしています

あなたが迎えようとしている「死」は

お世話になった 肉体との別れを意味しています

ものごとを難なく考えていたことが

ぼんやりとしてきているかもしれません

 

できないことが増えていくうらがわに

今まで感じ取れなかった 繊細な

感情 感覚 感性 思い フィーリング

は鮮やかに目の前に蘇ってくるものです

 

今までに人生で起こったこと 自分自身が感じた感情

何一つ 無駄なものはありません

その一つ一つにメッセージがあり

今は その訪れるものに 向かい合うときです

「死」は終わりを意味しているのではありません

 

あなたにとっての「死」は何を意味していますか?

どんな意味を持たせたいですか?

 

その願いは きっと叶います

側に寄り添い あなたのお話を聞かせてください

どんな人生を送り このあとどうしたいのか

いつでも 希望の中にあります

 

希望があり 自分自身に触れる時

あなたは光り輝いているのです

 

「死」は終わりではありません

 

あなたの人生は 光輝いています

 

あなたがそのことに気がつきますように

 

 

 

はじめまして!

三途の川で 希望を結ぶ

吉川 結希と申します。

(三途の川は あの世で渡る道

日本人にとっては馴染みのあることかと思います

海外の方や、あの世に三途の川のイメージがない方は

三途の川は渡らない場合もあります。それはそれで、問題ではありません!)

 

    私は看護師として500件ほどの人の死と接してきました。その中で感じることは、「死」は避けられるものではないということです。それなのに、「死」を避けようとする言葉、態度、治療。泣いてはいけないとする閉ざされた習慣。本当の「死」の意味について考えないままその時を迎えている風潮。

病院ですと、「死」への移行が開始されると先生などはその場から遠のいていくのを感じます。治療優先の社会背景では、死への準備を始めていたとしてもどうにかして栄養を与え、「生かさなければいけない」とするのです。「死への準備」これはご飯が食べられなくなること、自分自身でできることが減り、周りの人の助けが必要となること、睡眠時間が多くなる、または夜間に起きている、この世では理解できないことが見えたりするなどの変化で現れたりします。それを無理に戻そうとすることを、自然に逆らっているというのです。「死」の瞬間にはβエンドルフィンという快楽物質を放出し、なんとも言えない幸福感が訪れるのですが、自然に逆らう治療を施すとこのホルモンは分泌されなくなると言われています。亡くなった方を見ても、最後まで過剰に水分・栄養を投与されていた方は、身体は浮腫、体内の不要なものが排出されていないのがわかります。みるみる苦しそうにされていきます。「死」を受け入れ、自分自身必要最低限、自身の好きな時に好きなものを好きな量摂取されていた方は、とても穏やかなお顔、艶やかさ、または真っ白な透き通る肌を見せてくれます。治療に対するその姿は、その方が「死」とどう向き合ったのかに対する象徴であって、自分自身で「死」を受け入れるというプロセスを経ています。

 

人生は春夏秋冬に例えられますが、春の両親に育てられ、光と酸素を取り込むための葉っぱを盛大に成長させる。照りつける太陽のもとで大いに葉を広げ、緑を濃くし個性豊かな花を生らす夏、これまで育て支えてくれた大地への恩返し、葉を燃やし土への栄養となる落ち葉とする秋。厳しい寒さにじっと耐え、また実るための睡眠をとる冬。これに逆らうことなく、受け入れ、環境に感謝をし過ごすことができたなら無理なく、美しく、穏やかにプロセスは起こっていくでしょう。

 

ただ、変化するとは今までの自分、環境とのお別れを意味しています。その喪失の体験には寂しさ、悲しさ、怒り、憂鬱な感情を経験する場合があります。それは自分自身にあった感情で、向かい合う必要があったからこそ出てくるもの、何らかの感情をぶつけたい相手がいることもあります。それに対しての折り合いと、どうしていきたいのかにも目を向けていきます。

私が関わった多くの患者さんの中には、私が本気でケンカをした患者さんもいました。呼吸をする穴(気管孔)へのカニューレ(穴が塞がらないための器具)について看護指導をしたのですが、その指導を聞こうとせず、嫌われるのを覚悟で話をしたことがあります。その方と最後に目を合わせた時の目の輝きが忘れられません。本気でその方と向き合ったから感じられるものがあります。

頸部から血が噴き出す恐れのある患者さんを、本人が家に帰りたいという理由で奥さんと相談して、在宅看護にしていただきました。起こりうる事象、病院での万全体制をお伝えし、妻へは緊急時の対処方法を伝えました。妻はやりきったことに対する満足感でお礼を言いに病棟へ訪れてくれました。

食事が食べられなくなり、脳の疾患からお話しすることができない方でしたが、周りのことはよく理解されていた方。旦那さんと相談し、点滴が入らなければもう入れなくていいと医療者に相談がありました。それを受け入れた、主治医と病棟看護師。点滴をしなくなり一週間ほどでお亡くなりになりましたが、その方のお姿は美しく。ご家族の方の落ち着き、その真摯な対応は胸が熱くなるほどでした。本人の意思を尊重した家族。そして、治療をしないことは今の医療にとっては医者の生命に関わるかもしれないこと。それを許した主治医。私は素晴らしい病院で働いていたのだと思いました。

様々な「死」を見る中で、「死」を受け入れられるかどうか。悲しみや喪失があるとしてもそれを受け入れるかどうかで、その後の「死の移行」が変わってきます。また、大切な方に対してどのような気持ちを持ち、それに向き合ったか、甘えたのか、頼ったのかについても大切なことです。

これはお坊さんから聞いたお話ですが、僧侶は仏教の伝統的な儀式によって、亡くなった方の魂をあの世へ送ります。あの世へ送るとは、あの世の事を知ってお経を唱えこの世での実績、やったこと、人のためになったこと、家族の思いを繋げる役目をするそうです。亡くなった方は承認が大切でそれであの世へ登って生きます。ご遺体は死後一週間は安置されることが望ましく、それを頼りに人の思いを知り、お別れをし、お経も唱えられます。7日間は肉体の周りにいて、お別れをします。身体には7つの層があり1つの層に7日間お別れするのにかかるそうです。それで四九日で完全にこの世と切り離されます。仏教にはこれまで脈々と続いてきた伝統が、それだけの安定感があります。

 

私が提供させていただくのは、死への移行期間、何も変えようとはせず、側に寄り添います。そこで起こりうることに立ち会います。死への受け入れを見届ける証人となります。私が寄り添うことで、やめたらいいことやったらいいことはお伝えしません。あなたがあなたであった人生に対して、振り返り、見つめ感じて居ただきます。それは喜びだけではなく、辛いこと、悲しいこと、痛みについても見ていきます。死期迫る時だからこそ、感覚や心はひらいて居ます。人生を静かに見つめます。そして、次のステップについて心開いていきます。「あの世」は思い描くような暗く、悲しいところではありません。あの世は、煌びやかで金ピカで、何か自分自身と馴染みのないようなお飾りの世ではないかもしれません。それは、自分自身の中に眠る、何か安心できる空間。懐かしい空間に似ているのかもしれません。

さあ、ご自身の「あの世」をデザインしていきましょう!作られた世界ではなく、何もとらわれない自分自身の安心できる、安全な空間です。自分自身で自分自身のことに気づいていく。そんな死への移行を共に経験したいと感じています。ピンときた方。伝統的なお葬式等される傍でも寄り添ってもらいたいと思う方。お葬式をされない方。是非、お声かけください。

私からの医療行為は一切致しません。延命治療ではありません。